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社歴 |
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| 物語@ 「箸蔵くん」の始まりはこんなことからでした。 1994年10月1日、現在の当社社長の中川が工場の集塵機についているミキサーに右手を 巻き込まれました。気絶しそうな痛みに耐えて何とかそれより抜き出し病院へ行きましたが 中指が手のひらからすぐのところで骨が飛び出していました。先生方の手術のおかげで 何とか指はつながりましたが動きません。腱移植もしましたが僅かに動くようになっただけ です。右手でしたので何をするにも不自由です。箸を左手で使わなければなりません。季 節も冬になって行きますので鍋料理の回数も増えます。困ったことに中川はこれが大好き なのです。最初は左手で箸を使って食べるのですが、やはり使い慣れていない為徐々に 左手が疲れてくるのです。空腹の時は疲れてきてもそれを感じません。でもある程度食べ て空腹感が収まってくると疲労感に襲われます。まだ満腹にはなっていないのに左手が 疲れてしまって食べられないのです。こんな経験は初めてでしたので病院に入院している 麻痺患者さん方に話してみると「結構食事には労力が必要で疲れてしまう」とのことでした。 物語A 「箸蔵くん」を生み出す@ 結局1年間に3回の手術をして指が何とか動くようにと願ったのですが叶いませんでした。 しかし、不幸なことばかりではありませんでした。リハビリのY先生と整形外科のM先生との 出会いでした。特にY先生とは毎日のリハビリをしながら自助具、福祉用品、医学的な知識 など色々なことを教えていただきました。しばらくして日常生活の中でもっとも使う道具で あり、且つ不自由な手で使うのが難しい「箸」について、中川は暖めていた基本的なアイデ アをテーマに議論するようになりました。そしてある日のリハビリで家で作って使っていた 自分専用の「箸蔵くん」の原型となった「箸」を見ていただきました。そしてそれをたたき台 にまた「ああだこうだ」と議論を重ねていきました(もちろんリハビリ中にです)。議論を 重ねればそれにつれて改造していくのは当然です。リハビリ後、家に帰って早速改造の日々 でした。 物語B 「箸蔵くん」を生み出すA 「箸蔵くん」1号機は使用者であり製作者の中川の専用として作られました。具体的には「箸」 (このときはまだ市販のもの)にグリップを付けて手の中で安定をさせ、ガイド板で「箸先」 をクロスしないように動きを規制し、ニギニギと指を動かすだけで簡単に挟めるるようにして ありました。(基本的に現在の箸蔵くんと同じコンセプトです)。毎日この箸で食事です。 これなら手が疲れなくて満腹になるまで食事できます。あらためて食べる事の大切さを学びま した。そして「自分が上手く使えれば他の方々はどうだろうか?」試して見たくなるのはY先生 も中川も同様です。早速2号機を作り、病院内の患者さんに使っていただこうという事になりま した。その患者さんは数年前に脳溢血で右半身麻痺になり、少し回復した後同じ病気で左半身 麻痺になられた方で麻痺の残る右手でスプーンを使って食事されていました。 物語C 「箸蔵くん」を生み出すB 食事のメニューが「うどん」の日に合わせてテストをしました。結果は見事に麻痺の残る手で 「うどん」が食べられたのです。そして患者さんは食事しながら突然泣き出したのです。訳を 聴きますと「スプーンで食べるのが悔しくて情けなくて。それが何年かぶりに自分の手で箸で 挟みながら食べられた」この言葉に中川も雷で打たれたように心に強く刻まれました。ここまで 他人からこんなにも感激されて、しかも涙を流されたことはいまだかつて経験無かったのです。 そして「箸」にこれだけの「パワー」があることに気付かせてくれました。 病院内だけのテスト(一定時間内にまめを摘んで隣の皿に移す)に留まらず、養護学校や 養護施設などで色々な症状の方々に協力していただきテストを続けました。もちろんその間にも 改造、実験の毎日でした。障害のある方が10人いたら10通りの箸が必要です。一つの箸で 出来るだけ多くの方々に使っていただけるように設計することが必要でした。 物語D 『箸蔵くんL型、鶴首型』完成 太いコルク製のグリップを自在に曲げられるようにして手の中でのフィットするようにし、 (休息姿位、寝ている時の力の入っていない指の状態で安定するように)後は「ニギニギ」と 指を動かすだけで難しい箸先が合うように設計しました。一膳一膳ずつ手作りでしたので 価格も高く5500円もしました。病院から生まれた商品らしくデザインはまったく考慮されておらず、 機能性のみを追及した設計となりました。しかし、その使いよさ、性能は現在の商品と比べても 遜色なく今でも時々オーダーが入ります(今は生産中止です)。 当時の福祉用品の業界、特に自助具の「箸」の市場はまったくと言ってほどなく、「世の中障害が あればスプーン、フォークで食事を」というのが信じられていました。「障害があっても自助具の箸を 使って」なんてことは多くの方々は考えてもいませんでした。 物語E 「箸蔵くんL型、鶴首型」を売り出す@ さて、商品は出来たけれどこれをどうやって世の中に出すか?そこで業界紙に取り上げて いただこうと考えました。早速業界紙の「S社」の電話番号を調べて会っていただけるようにお願いを しました。当日、サンプル品を持ってS社にお邪魔し、編集長に説明しました。好印象を持って いただいたのかまもなく写真入りで紹介記事が掲載されました。やっと船出した瞬間です。研究を 開始してから2年たっていました。商品説明用のパンフレットも始めて作りました。 しかし、記事にはなったもののそれですぐに売れるはずもありません。まして「自助具の箸」など 見たことも無いという時代でしたのでなおさらです。しかし事態は東京で進んでいました。東京の 「自助具のスプーン」メーカーS社(現在F社)の社長がその記事を御覧になっていたのです。電話を 頂き早速にサンプルをもって新幹線に乗りました。 物語F 「箸蔵くんL型、鶴首型」を売り出すA S社の社長とは東京駅の「銀の鈴」でお会いいたしました。何もかもが初めてのことです。 一生懸命に話を致しました。社長もさぞお困りになった事でしょう。お会いしてから2時間以上 「自助具の箸」の話ばかりなのですから。そして横浜の介護実習普及センターまで行って自助具の 制作現場を見学させていただき、そこでも係りの方と社長と3人で「自助具箸」の話をしました。 S社の社長も「箸蔵くん」の性能には理解を示していただいたようでしたが何分世の中にない はじめての商品ですので慎重です。ちょうど「作業療法士の全国大会」が東京の八王子であり、 S社が出展することになっていました。社長はそこに「わずかなスペースだけれど一緒に 展示しないか」と誘っていただきました。1996年の5月の事でした。 これが「箸蔵くん」が始めて「商品」となるきっかけになりました。 物語G 「惨敗、そして分岐点@」 展示会では「箸蔵くん」の性能は今までの病院でのテストがバックにありますのでOTの先生方の ご質問にも答えることが出来、先生方も手にとって使っていただき驚かれたり、感心されたりして 納得いただきました。それをご覧になってS社の社長も性能的には認めていただきましたが 商品性、市場性は別です。そこで今でもお世話になっている大手のF社の方を呼んでこられ、 ご覧いただきました。そしてその方が仰られたのは「デザインが良くない。いかにも手作りで 商品性が低い。価格が高すぎる。このままでは売り物と認められない。いくら性能が良くても 当社は扱わない」との厳しいお言葉でした。 そこでS社の社長が果たして「自助具の箸」の市場あるのか無いのか、その規模や求められている 商品性などを質問され、「市場規模は始めての分野なのでわからない。有るのか無いのかも わからない。でも時々お客様から求められることはある」との答えを頂きました。 物語H 「惨敗、そして分岐点A」 中川はわかっていたのです。どうすればいいのかを。今まで先送りにしてきたことを指摘された のです。つまり商品性を高める→デザイン良く設計し金型を作る、価格を安くする→金型を 作り量産する。展示会も終わり、帰りの新幹線の中で今後の展開を考えました。進むには 指摘された欠点を克服するより手が無い事は明らかです。しかし金型を作るにはかなりの 資金が必要です。現に受け入れられる市場があって商品が成功するとの可能性があれば 賭けられます。しかし、全く市場が無くてこれから自力で切開いていかなければならない世の中で 初めての商品に資金をかけるかどうかというところで今まで躊躇していたのです。わかっていたから いつまでも一個一個手作りのままだったのです。それを性能が良いことで言い訳をしいたのです。 自分をごまかしていたのです。冷静に考えればリスクが大きすぎてギャンブルです。まして家業が あります。趣味で研究するのはここまでと「箸蔵くん」の事はあきらめました。 物語I 「再出発@」 ここで一人の高校生U君が登場します。彼は全国的にも知られた奈良の有名な私立の 進学校の2年生でしたが交通事故のため頚椎損傷で指が動かなくスプーンで食事を していました。当時高校の目の前のマンションの一室を車椅子で動けるように床をフラットに 改装してお姉さんと二人で下宿していました。彼のお母さんとあるボランティア団体の会合で 知り合い、私が「障害者用の箸」を研究していることを知ってお母さんは息子さんの事情を お話になり最後にこうおっしゃられたのです。「息子もいずれ社会に出て自立していかなければ ならないでしょう。そのために基本的な日常生活を営めるように自分で出来る事を増やして いかないと。先ず食べる事、簡単な食事が作れるようになると一人で下宿できるようになる ので2年後に控えた入試で大学を選べる幅が広がり、それによって自分のなりたいと思って いる夢もかなえられる。ぜひとも協力して欲しい」 物語J 「再出発A」 初めて会ったU君は大人びていました。なぜなら事故のために病院で2年間を過ごし、 その間高校は休学していましたので高校2年の出会った当時もう19歳でした。電動 車椅子を器用に操り、かまわれるのが嫌なのでしょう、できることは出来るだけ自分で しているのがわかりました。早速普段どおり食事をしてもらいましたが、両手とも親指は 動かせず、スプーンを親指と人差し指の付け根に差し込んで持ち食べていました。ただ、 手首を外に曲げる事が出来、それにつれてわずかに親指以外の指が手のひらの方向に 閉じることがリハビリの訓練によって可能となっていました。また、肘、肩も充分に動きました。 この手首を外転する事によって生じるわずかな指の動きで「箸を閉じたり開いたりが 出来ないか」可能性はこれしかありません。そのためにはこのわずかな指の動きをロスする ことなく箸に伝えなければなりません。「どのように対応した箸を作れば良いのか」いろんな 考えが頭の中を駆け巡りました。 物語K 「再出発B」 先ず箸を手の中で安定させて落とさないようにする。親指の付け根に箸を閉じる時の 動きを支える「ツッパリ」の役目をさせる。手首を外転したときに動く指の最大ストロークを 探り、その位置にグリップをつける。その時の力で動かせる力を色々なサイズのバネで 試行錯誤する等々。後日、「箸蔵くんL型」をベースに小改造したものを使って食事して もらいました。ちょうど夏休み前の暑い夕方でした。その日の晩御飯のメニューに「そうめん」 加えていただくようにお願いしていました。U君の手に「箸ぞうくん」装着して手首を動かすと 見事に箸が閉じるのです。お母さんもお姉さんも中川もびっくりです。箸が動くのを確認して 実際にそうめんを摘むと「摘めるのです」。挟んだまま汁に漬け、口まで運びます。その場に いた皆さんの歓声、U君の照れた笑い、中川もほんとに心のそこからの嬉しさに「こんな 喜びもあるもんだ」と初めての経験にびっくりしていました。 つづく |
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